2014年の1月27日で病気発症から約1年が経ったので、句切りとして1年間日記を書こうかと思います。個人的な意見や見解などが入っていますので、全ての人に当てはまる事ではありませんのでそれを踏まえて頂けますと幸いです。
細かく症状を書いていくとカルテ並に量が凄い事になってしまうので、要約しております。
かなり複雑な経緯と病例なのでほとんどの人は心配はないかと思います。
詳しい病状はサイトの引用を用いております。
事の発端は昨年の2013年の1月になります。
連日忙しい日々が続いていまして、無理にでも仕事をこなしていた状態でした。
1月中旬に寒気からくる風邪を引きまして、そこから両膝の痛みがきました。
これは風邪からくる神経痛なのかなと思っていたら、2日後には左膝裏の脹ら脛付近に違和感が出てきました。 数日も経たないうちに左足は腫れぼったくなり、地面に足をつけるだけで激痛が走るほどの痛みが出てきました。
1月下旬に東京、築地の聖路加国際病院に駆け込むと、
深部静脈血栓症(エコノミークラス症候群)と
肺血栓塞栓症を起こしていて即入院決定でした。
深部静脈血栓症で出来た血栓が肺に飛んでしまうともっとも危険な肺塞栓症になります。
運良くぼくの場合は肺に股がる太い動脈に留まってくれて、多少息苦しい症状で済んだものの少しでも運が悪かったら、肺に血栓が詰まってしまって、呼吸困難か心肺停止になるところでした。
聖路加国際病院では、血栓症ではベーシックな治療である、ヘパリン点滴治療でした。
他、飲み薬で新薬のアピキサバンという薬を服用していました。
入院から5日後には退院をしまして自宅療養になりました。
2月上旬に呼吸が苦しくなり再度、聖路加を受診しました。
肺に股がっていた血栓が溶けて肺の一部に落ちた影響で呼吸困難になりました。
かなり辛い症状でしたが、3〜4日経ったら症状が治まってきました。
しかし、別の問題がそこで出てきました。
2月中旬、血液中の血小板が非常に少なく、白血球内の好酸球が通常の5倍ほどの異常値が出てしまって即2度目の入院になってしまいました。
長期入院も視野に入れて、名古屋の第二赤十字病院に転院をしました。
いろいろな原因を探った結果、
ヘパリン性起因性血小板減少症と
特発性好酸球増加症になっていました。
ヘパリン性起因性血小板減少症は本当に稀な病気で血栓を溶かすための薬が逆に血栓を作ってしまうという副作用反応でして、その影響で左右の足全体に血栓が詰まってしまった結果になりました。
ヘパリンに変わるアルガトロバンという点滴薬を24時間絶えず打ち続けなければならない状況になりまして、さらにワーファリンという飲み薬も服用しなければ血栓が更に増加してしまうほどのとんでもない症状になってしまいました。
たった合計1週間ちょい打った点滴薬の副作用が約4ヶ月くらは続くというかなり厄介や病状でした。
3月上旬から打ち始めたアルガトロバン点滴を6週間続け、4月中旬に未解決で退院をしたのですが、その後、ひどい右足の腫れと少しでも歩くと両足がパンパンに腫れぼったくなり、少しの距離で高山に登った様な感覚に近い状態になりました。
5月上旬、東京の国立国際医療研究センターを紹介され、2度目の転院をしました。
6月上旬、足には潰瘍ができ、血中の値の異常値は改善されず、再度ここでもいろいろ調べた結果、
特発性好酸球増加症と
チャーグストラウス症候群と診断され3度目の入院を余儀なくされました。
治療としては、プレドニンを連日60mgから始まり、それだけでは病状を押さえ込めなかったので抗がん剤でも使われるエンドキサン点滴を2週間に1回、合計4回行ってようやく症状が治まるというくらい強力に自己免疫は暴走してしまっていたようです。
症状が治まりはじめてきたと思った8月下旬ごろに、右足の甲の部分に潰瘍が出来てきまして、夜も眠れないほどの慢性的な激痛が2週間ほど続き、皮膚科でバック治療が開始しました。合計4週間のバック治療をしても、足の潰瘍はなかなかよくならず、10月下旬には血管カテーテル治療をする事になりました。
何度かカテーテル治療を繰り返して足の潰瘍を治していくことを視野に入れての見解だったのですが、治療後の回復スピードは例を見ないくらい早く、1度のカテーテル治療で傷は塞がりました。その後、12月にはプレドニンの量も14mgになってきたので、傷の具合も回復したタイミングで退院をする事が出来ました。
現在、退院して約1ヶ月経ちますが、血管炎や他の症状もなく順調に経過でして、プレドニンの量も12mgと少なくなってきました。
また、血栓症や血管炎の後遺症は残っていますが、ゆっくりとよくなっていければ幸いかもしれません。
いま振り返ってみると、ここまでの症状の連鎖というものは滅多になく、宝くじの高額当選並みの確率で起きてしまうほどの症状でした。病例的にも世界中あわせても10数例しかないとも言われ、稀中の稀な病気の連鎖でした。
自分自身、昔からネフローゼ症候群 の持病を持っていまして、ステロイドの定期的服用の期間も長かったので、血管系に負荷がかかっていたのかもしれません。
職業的にもどうしても不規則な生活が続くときもあり、大きくバランスを崩す要因はたくさんあったかと思います。まだ若かったからいいもののある程度年を取ってから発症していたらそれこそ大変なことになっていたのかもしれません。
入院中、自分がどういう状態に置かれているのかを必死になっていろんなサイトを拝見して、いろいろと助けになったので、ほとんどない症状ですが、だれか同じ様な事が起こったときに少しでも目にとまるればと思いましたので、ここに日記として残そうかと思いました。
細かく書いていると本が出せるくらい長いものになってしまうので、短的に終らせようかと思います。
短くと言いながらかなり長くなってしまいましたが、2013年は本当に自分にとって大きく価値観や人生観を考えさせられる年になりました。何度も死ぬ重いや心が折れそうなときがたくさんありましたが、こうやってまた戻って来れたのは運もありかもしれませんが、多くの人たちの助けがあってからこそと思いました。これは本当に痛感しました。
ここには書ききれないことだらけですね。。。
まだまだ、今後どうなるか分からないかもしれませんが、出来る限りまたいろいろと活動をやっていこかと思います。短い挨拶になってしまいますが、1年の句切りとしてここに記しておきました。
みなさま本当にご心配とご迷惑をお掛けしました。本当にありがとうございます。
そして、これからもどうぞよろしくお願い致します。
2014年1月27日
渡部正人
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